SEMINAR

寺田農園 寺田昌史様セミナー(第32回農楽マッチ勉強会)

寺田氏 (4)

「農業経営の多角化を目指して~ハーブ等加工品の開発~」

開催日時:2015年9月18日(日)13:30~16:30
開催場所:大阪総合生涯学習センター大阪駅前第2ビル6階第2研究室

奈良県葛城市でハーブの水耕栽培を営む寺田昌史氏による講演が行われた。

講演内容は、表題の内容にとどまらず、寺田家の歴史から、ご自身の現在に至るまでの農業との関わり、そして加工品など現在の取り組みからこれからの展望に至るまで多岐にわたる内容であったが、寺田氏の人柄から、非常に和やかな雰囲気で終始した。

寺田家は代々続く大地主であったが、農地解放により5%程度の2町しか手元には残らなかった。しかし、家族経営であるため労働力は足りず、寺田氏自身は小学生の頃から労働力として働かざるを得なかった。「朝は朝星、夜は夜星、昼は梅干し」という生活の中でも、寺田氏の父親は当時では珍しいいちごの高設栽培やいちじくのハウス栽培にいち早く取り組み、先進的な経営を形作られてきた。一方、寺田氏本人は中学、高校とすすむにつれ、自家の農業に対する嫌悪感が強まり、そこから逃げる方法を模索し始めた。高校卒業後は農業大学にて2年間過ごし、その後さらに2年間、アメリカへ農業留学をして過ごした。いよいよ本格的に自家の農業を行うことになった頃、これまでの4年間の経験が本人の農業のとらえ方を「親父につかわれる農業」から「自分のスタイルの農業」へと変えていた。早速、寺田氏は現在の経営の基礎となる水耕栽培の設備を整備し、自分スタイルの農業を開始した。当時、2反半の施設(約1億円)で青ねぎを栽培し、周年で市場出荷していたが、価格が低迷し借金だけがふくれあがった。必要とされるものなら何でも作ってやろうと思っていた頃、知り合いの仲買人からの「チャービル(ハーブ)は出来ないのか」をきっかけにハーブ栽培に転換していく。世の中で必要とされる農産物を的確に見極め、仲買人や取引先の要望に確実に応えるためには寝る間も惜しんで働いてきた結果、現在では、施設は5反になり、毎日ハーブ1500パックを出荷するまでになった。こうした経験から、情報収集を含めたネットワークの重要性を早くから認識しており、青年農家が集まる4Hクラブにも参加し、全国4Hクラブ連絡協議会の会長も務め、全国の意欲的な青年農家に刺激を受けた。大阪を代表する長左エ門こと射手矢氏ともそれ以来の親友である。

「失敗しているときはお金を探していた。代価とありがとうを考えるようになってお金が入り出した」と語られるように、常に要望に応えるため品目を選び、必要に際して作付面積を拡大している。作業の手が足りなくなれば雇用もしている。ただ、雇用するからには雇用される人が安心して働ける環境をと考えて会社化した。また一方でバジルペーストやジャムなどの加工品の生産にも最近取り組んでいる。最初のバジルペーストが出来るまで2年間もかかったが、商談会やマルシェに出店して買ってもらったお客さんからリピートしてもらっている。

最近、自分は経営に専念しようと考えて、様々な業種の経営者の方々と話をしてきたが、現場から退くことは難しく、従業員の先頭に立って作業の見本を示し、指示を出し、常に汗をかいていることが自分には向いているのだと改めて認識した。

今までを振り返ると、周りのみんなにいつも助けてもらってきた。これからはみんなを助けられるよう日々がんばっていると語られ、講演を締めくくられた。

(文責:植田正浩)